ワーママのアメリカと日本の子育て

弁護士の子育てサバイバル日記

一番って気持ちいい

コロナがまだまだ落ち着かないが、幼稚園の運動会は無事開催された。運動会というのも日本独特で、アメリカにはなかった。徒競走などの競技はともかく、みんな同じ振り付けで踊るなんてアメリカでは無理だろうな。。。目に浮かぶのは、ズンバのクラスで、トレーナーの振り付けを必死に真似している私の目の前で自由に踊り狂っているハーバード生。笑

 

コロナの功名というか、運動会が学年ごとの開催になったので、自分の子どもが出るプログラムばかりで息継ぎする間もなく一瞬一瞬がかなり楽しかった。子育てというのはこうも新たな興奮をもたらしてくれるのか、という感じ。鼻息が自然に荒くなる笑

 

ついこの前の盆踊り大会では、全くみんなの輪に入らず、恥ずかしがって私の足にしがみついており、最後無理矢理先生に連れて行ってもらって一曲だけ何とか踊った息子が、イキイキとおともだちと準備体操をしているだけでも感動。もう親の方をちらりとも見たりしない。みんなで同じ振り付けで踊ったり動いたりする、ということに良し悪しはあるとしても、成長を感じる。お互いに目配せしてにこっとしたりするのを見るのも微笑ましすぎる。幼稚園の組体操ってどんなもんだろうと思っていたが、身体の負担がないようなポーズで、子どもたちが号令にあわせて掛け声とともにポーズを決めるのが可愛らしかった(その掛け声がないと何の真似をしたポーズかはわからなかったけど笑)。最後に息子がピラミッドの一番上で腕をぴんとはり、ポーズを決めていたのは本当にかっこよかった(そのピラミッドも、下の子たちに全体重をかけないような陣形になっていた)。

 

息子は特にリレーを楽しみにしていた。それもそのはず、アンカーに選ばれたのだ。息子としても自分が一番足が速いという自負もあるようで(彼が負けるとしたら、ウサインボルトくらいなのだそうだ笑)、当然だと言わんばかりの顔だったが、決まった日にはすごく嬉しそうに報告してくれた。気合いの入れようも相当で、予行練習で負けてしまった時はチームで話し合いをしただけでなく(幼稚園児の話し合いってみてみたい)、真面目に走っていない子には個別に話をしておいたと言っていた。何を言ったの?と聞くと、「練習を真面目にやらないと本番もできない」と言ったそうだ。え、、、まるでどこかの指導者みたい。すごっっっ。

 

そして結果は堂々の一位!年甲斐もなく叫んで応援してしまったが、やっぱり一番って気持ちいい。あんなに頑張ってたので、一位じゃなかったらなんて声かければいいかなと考えていたが、そんなの吹き飛ばすくらい綺麗なフォームでさーーーと走っていて、オリンピック選手のように両手をあげてゴールし、ゴールテープを切った後も余韻で走りきり、まぁそれはそれはかっこよかった。

 

と、もはや完全燃焼気味の私だったが、その日の夜のお風呂場から、夫と息子の会話が聞こえてきた。

夫「運動会は終わったけど、まだまだ走りは終わらないからな」

息子「わかてるよ!小学校にも運動会あるし、運動会も終わらないよ!!」

無事終わったと思っているのは私だけで、向上心のかたまりのような夫と息子。スポーツマン!

 

よく一番じゃなくてもいいなどということもあるが、一番を目指さないと一番にはなれないし、一番にしか見れない景色があると最近思い始めてきた。職場でも昇進ルートなるものが見え始めてきていて、あんまり興味はなかったけれど、何をするにもやっぱり声の大きさが大事で、声を大きくするには、それなりの地位とそれに伴う責任が必要なのではないかと思ってきている。物理的にお腹から声を出すのも大事だけどね笑。

 

とはいえ、私が人に誇れるもの、一番だと言えるものは何かと聞かれるとぐぐぐぐぐぐぐぐ、、、、、となってしまう。息子みたいに、ボルトの次に足が速いってさらって言えたらいいんだけど(一番じゃなくてボルトの次だけどね)。

 

在宅勤務でずっと家にいると、色々と悶々としてくることもあるが、現在住んでいるアパートにはご老人が多い。中でも定期的に聞こえるちーんという音(おそらくお仏壇)、耳が遠いのか大音量で流れてくる毎朝のテレビニュース(おかげで自然に毎日ニュース把握できています笑)、時折り聞こえてくる住人同士の会話(「さっき行ったら〇〇さんいなかったからねぇ、ドアノブにねぇ、みかんかけといたよ」、、、ほっこり)のおかげで、一番とか昇進とかはともかく、とりあえず今日頑張ろうと思えるのだ。

 

カマラ・ハリス

アメリカでは有色人種初かつ女性初のカマラ・ハリス副大統領が就任した。彼女のI am the first but not the lastといった感じ(ざっくりというと笑)のスピーチに私は感動したが、初めての人がいるからこそ次世代に続いていくもの。歴史の大きな節目であることは間違いないだろう。

 

日本では相変わらず、政治家だけでなく企業でも、リーダーシップを取るポジションに女性が少ない状況が続いている。こういうとき、アメリカに比べると日本は〜〜的な議論をよく聞くが、私の実感としては、アメリカも相当女性差別がはびこっている。

 

女性が会議に出ると長引いて効率が悪い云々といった発言をする政治家に非難轟々だったが、同じような話を以前アメリカでも聞いた。シカゴ弁護士会の勉強会に参加したときに、group decision makingに女性が参加すると面倒くさいという偏見があると言っていた。女性は感情的。女性には決定力がない。女性は脱線しがち、、、

 

そこで弁護士会のグループが統計をとったところ、女性がいた方がまとまりやすいというデータが集まったという。理由の解析はまだだが、女性が会議にいると平和的な雰囲気が出やすいからではと言っていた。これに対して、じゃぁ全部女性だったら?という質問が出ると、多様性が失われるのでかえってまとまらないという意見や、いやむしろ全部女性の方が聞く耳を持っているのでスムーズに進むのでは、という意見があった。意見だけにとどまっているのは、意思決定機関のメンバーが全部女性だったら、というデータがまだ十分に取れない現状があるからだ。

 

統計自体は色々批判できるところもあるので、これのみを信頼するの危険だが、こうやって数字でアプローチしていくのはアメリカっぽいなと思った。

 

あと、この勉強会はコロナ前だったので、一同が裁判所に集まって開催されたのだが、場所はまさに普段裁判が行われる法廷で、スピーカーはバーの向こう側(裁判官がいる方)に机を並べて座っていた。オーディエンスは一応傍聴席に座っていたのだが、人が溢れるといとも簡単に(傍聴席側から裁判官側に)バーを越えていき、ついには陪審員の席などに座っていた。自由。

 

さらには休憩時間に廊下でクッキーなどが出されたのだが、オーディエンスたちは休憩時間終了間際にクッキーをもう一枚と新しいコカコーラを片手に席に戻り、法廷でモグモグし始めた。法廷の威厳も甘いチョコチップの匂い。これぞアメリカ。

 

結局アメリカの弁護士業界は白人で男性の弁護士がマジョリティなのだが、これがクライアントからのプレッシャーという形で変わりつつある。つまり、クライアントが「チームメンバーを半分マイノリティにしろ」ということをリクエストしてくるのだ。

 

ここでアメリカなのは、マイノリティといったとき人種と性別の二つのファクターがあること。例えば私はアジア人でかつ女性なので、マイノリティポイントがダブルで2ポイントになる。つまり、パートナーから見れば、私一人で二人分のマイノリティをチームに入れたことになる。いいのか悪いのかわからないが、私はある意味モテモテだ笑

 

日本でこれをやろうとすると、性別によるマイノリティポイントに偏りがちになり(日本人以外で日本の弁護士資格を持っている人はほとんどいないように思う)、結構実現は難しいのではないかと思う。日本でも外資並みの要求がなされるようになると、かなりきつそうだ。が、自身の古い成功体験でより頑固になった頭の固いおじさまが多数派の弁護士業界においては、これくらいの圧力がないと、しかもクライアントからの圧力でないと、差別とまでは言わなくても女性が少数派であることは変わらないだろう。

 

他にも、例えば何か作業を委託するときに(翻訳など)、中小企業に委託するとそれでもマイノリティポイントが稼げる。こういう大手に中小企業が食われている、強者vs弱者みたいな視点も何だかアメリカのヒーローものっぽくて面白い。

 

逆にいうと、こういう仕組みがなければ、チームのほとんどが白人男性で、業務委託先もほぼ大手なのだ。少なくとも、アメリカの方が女性差別がない、というわけではなさそうだ。

 

一方で、アメリカの方が、女性がより大きな声で権利を訴えている気がする。

 

個人的にはあまりフェミニズムは好きではないし、完全に共感できるものでもないのだが(日本人的感覚だとうるさいというかしつこいというか、、、もちろんそれだけ何度も強く主張しなきゃいけない状況だからなのだろうけど)、アメリカのマイノリティは集まる。集まってデモをする。集まって訴訟を起こす。とにかく集まって行動するのだ。

 

これが必ずしも功を奏しているわけでもなく、また筋がいいとも限らないのだが、こういう行動の積み重ねが、カマラ・ハリスに繋がっていったような気がする。マイノリティも、集まれば大きな力になる。日本でも、最近はSNSなどでどんどん人が繋がっており、物理的に集まらなくても、全く同じ意見ではなくても、女性たちの繋がりの輪が広がってきているように感じる。案外女性首相が登場する日も近いかも。

 

 

 

淡く思う

緊急事態宣言が出る直前に帰国し、息子は日本の幼稚園に通い始めた。

 

幼稚園の申し込みには日本に住民票が必要だが、住民票を入れるには役所に行かなければならず、世界で最もコロナの状況がひどいアメリカから帰国した我々は14日間の自主隔離をせねばならないので、すぐに役所には行けないし、電話で問い合わせたところ役所としても来るな、という(そりゃそうだ)。しかしながら幼稚園の申し込みにも当然期限というのがあり、その期限は予想通り自主隔離期間中に過ぎてしまうのだ。

 

コロナはある意味便利なもので、なんか面倒なことがあれば「コロナだから」と言って断れば丸く収まって、角が立たない。まだ自分自身が決心ついてないだけなのに、「コロナで先が見えなくて」といえば、とりあえずの決断を先延ばしにできる。不意に「コロナだから」といって疎遠になっていた友人になぜか思い立って連絡を取ってみると、そこから盛り上がったりする。人間関係の潤滑油。

 

役所でもコロナ効果はあり、運転免許証の更新ですら、更新期間を逃しても「コロナで外出を控えていた」と言えばお咎めなしなのだそう。

 

ならば、コロナだからこそ自主隔離があるのだが、コロナだからこそ、幼稚園の申し込み期限を延長してもらおう。

 

交渉した結果、幼稚園の申し込みに期限があるのは諸手続きにそれくらいの時間がかかるからであり、これを延長することはできないとのこと。ですよね。。。ただ、役所としても意地悪しているわけではない。問題は住民票を入れるのに、パスポート原本の確認が必要で、私が直接役所に行かなければならないということ。幼稚園の申し込み自体は、郵送で申込書やその他の書類を送ることで可能なのだ(原本を送付する必要はあるが)。ということで、住民票なしでも幼稚園の申し込みを郵送のみでできることになった。

 

日本の役所は、アメリカの役所よりもずーーーっとしっかりしているし合理的。「折り返して連絡します」といっても、私からまた問い合わせの電話をしない限り永遠に折り返しの連絡なんて来ないアメリカに比べると(なんならこちらから電話をかけ直すと担当者が帰宅していたりする)、証拠にも残らない口頭での約束を信頼できるというのはこんなにも快適なのかと思う。上記のやりとりも全て電話で、この特別扱いについてもただの口頭での約束だが、日本の役所は約束どおり対応してくれた。

 

が、日本の役所ってなんで面倒に感じるのだろう。

 

それはおそらく、役所があまりに原本主義だからなのだ。リモートでできることがほとんどない。だとすると、役所がどんなに電話で丁寧に対応してくれても、結局最終的には役所に物理的に行かなければならず、行ったら行ったでものすごく混んでいて(特にマイナンバーカード関係の列が長い。普及してきた証なのだろうか)、書類に不備があったりしたらもう一度やり直し。郵送でパスポート自体は送れないが、コピーなら送れる。それではダメなんだろうか。。。やっぱり悪用する人がいるんだろうか。

 

リモートといえば、2020年はコロナでリモートワークがかなり広まったようだが、2021年は「やっぱりリモートでは無理」という仕事が出てきて、揺り戻しがきているようだ。緊急事態宣言に関わらず、友人も結構出勤している。もちろん業種によると思うが、少なくとも日本の印鑑や原本主義がもっと効率的になればいいなと思う。コロナ前だが、ある依頼者が月曜までに社長の印鑑が必要で、日曜に僻地でゴルフを楽しんでいた社長のところまで、電車とタクシーを駆使して3時間かけて(往復6時間!)行っていた。彼の休日を返してあげたい。。。

 

リモートワークのおかげで、私を含め子育て世代は在宅勤務への風当たりが弱くなり、やりやすくなった。個人的には事務所でやった方が効率的な部分もあることは否めないが、通勤時間が省略でき、人身事故などで電車が遅れる度に息子のお迎えに間に合わないかもと真っ青になっていた頃に比べれば、時間に余裕がある。ただ、リモートワークというと、外見的にはひたすらずっと家にいるので、出勤を余儀なくされている人から見ると「休日」に見えるらしい。あくまで在宅「勤務」なので、ちゃんと仕事しています!笑

 

幼稚園は、日本に帰国した時点では、ほとんど日本語を話さず、英語でしかコミュニケーションできなかった息子が日本の幼稚園に順応できるように、午前中は日本語、午後は英語という体制の幼稚園に入園した。少なくとも午後になれば、みんなとコミュニケーションがとれるし、日本語は別としても英語が話せるということに自信を持てると思ったのだ。初めてボストンに行った時、「子どもはすぐ順応する」という言葉を過信しすぎて、全く英語を話せない息子に苦労させてしまったので、今回は出来る限りの環境を用意したいと、、、

 

日本語クラスの先生も状況を理解してくださり、笑顔で「Good morning!」と言って出迎えてくれた。が、息子が転入したのは2月。入園早々「豆まき」があり、大人から見てもかなり本格的な鬼が幼稚園に登場。息子は、日本の幼稚園には鬼が来るのかと号泣し、幼稚園には行きたくないと言い張る。そっか2月ってそういうイベントあったなと、これにはもはや笑ってしまったが、日本語クラスの先生がうまくフォローしてくださり、今は元気に通っている。

 

で、英語クラスの方だが、やはり日本で英語をやるということの限界。笑 当初は息子もI cannot speak Japaneseといって英語しか話さなかったようだが、クラスメートはほとんど日本語を話しているようで、先生も日本語は話せないが理解はできるとわかると、息子は次第に英語クラスでも日本語を話すようになった。子どもはよく観察しているし、騙せない笑 

 

というわけで、3年弱アメリカにいて、我が家としてはものすごい額を教育費に注ぎ込んだにもかかわらず、あっという間に息子は英語をお忘れになった。音は耳に残っているとか、そういう慰めの言葉をネットで探したくなるくらいだ笑

 

とはいえ、アメリカで幼少期を過ごしたことの証がある。それは、ものすごく強い自己肯定感。

 

幼稚園馴染めているかなと思い、「お友だちできた?」と息子に聞くと、「みんな遊ぼう、って来るけど、誰と遊べばいいかわからないから順番に遊んでいる」と嬉しそう。先生に聞いても、みんなに囲まれているようで、特にお世話好きな女の子たちに色々と面倒を見てもらっているようだ。

 

息子が「ベストフレンドもいる」というので、「お名前は?」と聞くと、「当ててみて」という。聞いたことのある名前をいくつか言ってみたが、全てNo。ならばとクラス名簿を取り出し、上から名前を読み上げてみるが、全員No。ははーんこれは、と思い、「もしかしてママ?」とニヤニヤ聞くと、NOOOOOOO!それはそれでショックと思いながら、「じゃぁパパ?」と聞いても首を振る。まぁそっかと若干安心しつつ笑、「わかんない、教えて!」と聞いたところ、

 

"Myself!!"

 

親友は自分自身。自分大好き。これはアメリカで得られた一番の財産だな笑

 

日本で生まれ育った私は、淡く思いを馳せるのみ。

 

 

 

大坂なおみ

大坂なおみ選手が全米オープンで二度目の優勝。一度目の優勝のときは"I'm sorry"と表彰式で言っていたのを見て、正直、優勝したのに何で謝らなきゃいけないの!?と疑問でいっぱいだった。"sorry"のニュアンスがネイティブではない私には完全にはわからないし、謝るというよりは残念とか心が痛むというような感じなのかもしれないが、初優勝というすごく嬉しくて記念すべき瞬間に言う言葉としては、何だか淋しい気がしていた。

 

そして今回。黒人差別への抗議のため、試合のボイコットを発表した後での優勝。ただただかっこよかった。

 

毎試合、黒人犠牲者の方のお名前が書かれたマスクをして登場。インタビューで、この行動にどのようなメッセージを込めていたのか聞かれ、大坂なおみ選手は、"what was the message that you got?"と切り返す。皆が議論するきっかけを作りたかったのだという。かっこいい。しびれる。

 

スポンサーを抱えるスポーツ選手としては、本当に思い切った行動だったと思う。特に日本のスポンサーは、人種差別について会社として意見を表明することはほとんどない。というか、人種差別に限らず政治的な提言や議論を呼ぶような意見表明はほとんどしていないと思う。私個人としては、これをアメリカの会社みたいに何か意見を出せというのは押し付けであって、必ずしも必要ではないとは思っている。会社の社員であれ、お客さんであれ、いろんな意見の人がいるのだから、会社として一つの意見表明することだけが正しいとはどうしても思えない。

 

とにもかくも、(予想通り)大坂なおみ選手のスポンサーは、彼女の行動を「個人の行動(なので我が社には関係ありません)」として切り離しているところが多かった。が、今回の抗議によってスポンサーをやめたというところはなさそうだ。

 

大坂なおみ選手のインタビューで、彼女は自分はどちらかというとfollowerでleaderになるタイプではないものの、自分の声の大きさに気づき、誰もなにもしないのであれば自分が行動を起こさなくてはと考えたと言っていた。女性スポーツ選手の中で一番稼いでいるだとか、そういうことばかりが注目されるけれど、稼いでいる額ではなく、彼女の影響力、声の大きさが社会を動かせる。そのことを認識して、さらに行動にうつせる、大坂なおみ選手はやっぱりかっこいい。

 

日本からのえげつない批判を見ていると悲しくなるが、彼女のアイデンティティが黒人と日本人の2つであることへの許容度が低すぎるように思う。2つのアイデンティティは両立しうるし、だからといって日本人失格でも黒人失格でもない。ハーフじゃなくてダブルなんだと、「僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー」の人が言っていた気がする。

 

ちょうどこの時期は事務所に新入生が入ってくる時期で、Diversityに関する講習が開催された。私は純粋日本人なのだけれど、制度上Asian Americanに分類されていて、Asian Americanとしての苦労とかアドバイスを共有するセッションに参加した。

 

新入生が入ってきた時期にこういうセッションが開催されること自体、さすがアメリカの大手事務所という感じだが、日本と比べると、みんなの意識がものすごく高い。日本は均一的なので、どうしても多様性といっても想像つかないところもあって遅れているのだと思うが、アメリカでは「多様性が重要になってきているのではない、既にボトムラインだ」と言われており、一歩先を行っている。

 

面白かったのは、女性差別についてglass ceilingといって、女性の昇進には見えない壁(天井)があると喩えが使われることがあるが、アジア系差別についてはbamboo ceilingというそうだ。私たちは愛くるしいパンダ、、、(笑)

 

あと、なかなかアジア系差別がなくならないことの理由として、メディアにアジア系がいないことが指摘されていた。ニュースキャスターは今でもほとんど白人で、黒人も出てきたが、アジア系はほとんどいないらしい。メディアによって、マスクをした中国人のイメージが作られ、差別の現状がひろわれないまま意識されず改善されない。

 

固定化されたアジア系のイメージは「こつこつ黙って真面目に働いている」、つまり①文句を言わず、②お金もある程度稼いでいるので援助の必要もない、ということだそうだ。「移民の優等生」なんて言われたりもするらしい。だから、アジア系が抗議すると他の移民が抗議するときよりも反感を呼ぶし、アジア系の貧困層に援助の手が伸びない。

 

新入生からの質問で、「年寄りの白人男性とスモールトークで何を話せばいいのか」というのが出たときは場が和み笑えた。差別とかそういうこともあるが、共通点もないと交流できない。なお、答えは「奥さんの話を聞けば、会話が途切れることはないだろう」とのこと。。。これは人種関係無さそう(笑)。

 

日本にも外国人が増えてきたし、外国にも日系がたくさんいるので、大坂なおみ選手の存在を違和感なく受け入れられるような、多様性がボトムラインになるような国になってほしいな。

Zoom会議

私が今所属している事務所では、毎日平均3500ものZoom会議が開催されている。息子のオンライン授業も、全てZoomだった。他の会社のツールもある中で、私の実感としては、問題点を指摘されながらもZoomが一番多く、なんだかんだもうZoomはなくてはならない存在。あ、でも、ニューヨーク州弁護士の宣誓式は、YouTubeライブだったな。ミニチュアの玩具みたいな裁判所がスクリーンに映し出されていて、時間になると裁判官が四角い窓から参加するという、かなりシュールな宣誓式だった。

 

事務所では、オンライン飲み会(各自の家にテイスティング用のワインをデリバリーしてくれるという気前の良さ!)があったり、チームの週例会のようなものもオンラインになり、同僚のプライベート空間をちょっと垣間見れて面白い。ついでに同僚だけでなく、仕事で政府関係の方のご自宅までちょっと拝見できて、ミーハーな私はニヤニヤしていた。

 

私の場合、我が家のドタバタのキッチンがいつも写り込んでいたので、モダンな日本の家風のバーチャル背景に切り替えた。すると、「センスのいい家だね!」と同僚から誉められて、「いやこれバーチャルなんです」と言いながら、背景をバーチャルにしてもなお写り込んでくる息子の登場にわたわたして「息子です」と紹介しつつ、「テレビでも見てて」とテレビの電源つけると、同僚から「うるさい音が聞こえているからミュートして」と言われてしまう始末、、、以後気をつけます!

 

男性陣はどんどんヒゲが伸びていき、別人のようになっていった。髪の毛も散らかし放題で、会議に帽子を被って出るようになった(コロナ関係なく、アメリカ人は、室内でも帽子被っている人が多い気がする。マスクはしないんだけどね(笑))。そしてついに、自宅待機も3ヶ月以上になり、ばっさりと坊主になりヒゲもなくなった。そしたらちょっとハゲが目立っちゃったりして(笑)、みんなにからかわれていた。

 

なお、わが夫も気付いたら坊主になっており(私が寝ている間にバリカンでやってしまったので止められなかった)、マリモになっていた。筋トレは継続していたためマッチョではあったので、なんかでっかい肩の上にちょこんとグレーにかすんだ石ころが乗っかっているみたいだった。思わず「日本に帰るまでに伸ばしてね」と言ったら、「企業法務の弁護士で坊主の人ってあんまりいないから目立っていいかも」「というか何よりも快適だ」「このままでいこうかな」などと言い始めた、、、うーーん、、、

 

今住んでいるアパートは、毎月コミュニティイベントを開催してくれていて、コロナ前はスキー日帰りみたいなのもあって楽しませていただいていたのだが(何よりdoor to doorで連れて行ってくれるのでロジが楽)、コロナを境に一切なくなってしまった。

 

が、最近オンラインでこれが復活し、特にアートクラスは息子もお気に入りで、私もちゃんと「絵を描く」ということを習ったことがなかったので、一緒に楽しんでいる。他にも、フラワーアレンジメントや手作りピザなんかのイベントもあって、いつもそのアイディアに、ほぉそう来ましたかと感服して、次は何かなと楽しみにしている。

 

なお、オンラインクラス中で衝撃だったsmall talkは、「シャンパンと何をあわせる?」という質問で「気取ってチーズとかいう人もいるけど、フライドポテトが一番」とソムリエの資格を持っている人が言っており、みんなも「うんうん」と賛成していたことだ。きっとフライドポテトといっても、そのままではなくケチャップつけまくって食べるのだろう(笑)。こういうsmall talkってオンラインでもできるんだな。

 

オンラインのいいところの一つは、場所を選ばないことだ。通勤時間をカットできるのは有り難い!これがもっと進んだら、隙間時間(まぁあればだけど)に働く女性も増えると思う。

 

ただ、このZoomで話した内容が知らないうちに録画されたりしないのかとか、Zoomの情報ってどこまで誰が把握しているのかとか、ビックデータどこまで取られているのかとか、怖い部分もある。

 

例えば、友人が、女性の権利系の会議をZoomでしていたら、突然ハックされて、よくわからないアラブ系のメッセージが流れてきたらしい。

 

直接会う方が伝わることもあるし、Zoomは一つのツールでしかないけれど、政府よりもこういうテック関係の企業の方が影響が大きくなっちゃって、誰がどう歯止めをかけていくのかなぁなんて思うとおどろおどろしい。そうすると前に進めるはずなのに進めなくなっちゃうので、とにかくこの流れにのりつつ、あわよくばテック関係の法務部のポジション空きがないかなーーーなんて(が、私はコンサバなので結局大御所だけだけど)、検索してみたりする今日この頃(笑)。

 

 

子連れプエルトリコ~その②

プエルトリコでは、シェラトンに宿泊したのだが、ちょうどクリスマスだったので、ホテルでもイベントがあった。

 

ディズニーとの権利関係がどうなっているかよくわからないが、「ラプンツェルがきます」というので行ってみると、もういなくなっていた(笑)。滞在時間多分5分以下。きっと他のホテルにでも回るのだろう。

 

Frozenのミュージカルというのもあり、Frozen 1とFrozen 2をあわせたストーリーだったが、全てスペイン語。Let it goではなくLibre soy♪と歌う。。。わからん、、、が、横で息子もつられてスペイン語で歌っている!!さすが柔軟。というか、気温30度のプエルトリコでFrozenなんて、子どもたちは雪国のクリスマスを想像できるのだろうか。まぁできるんだろうな(笑)

 

気温30度といっても、意外にプールに入ると寒い。私はそそくさと退散してしまった。が、息子が「hot water」と言っていたので何かと思えば、なんと温水ジャグジープール。なんだか日本っぽいじゃん!と興奮し、ずっとそこにいた。アメリカはシャワーしかなく湯船にしばらくつかってなかったので、極楽~!ほぼ毎日楽しませていただいた。

 

ジャグジーでくつろいでいると、プエルトリコ人で今はニューヨークに住んでいるが、クリスマスで戻ってきたという人に話かけられた。プエルトリコ人で、わざわざシェラトンに泊まるの珍しいなと思ったら、「観光客みたいなことを一度やってみたかった」とのこと。プエルトリコはこんなに暖かいし(シカゴだけでなくニューヨークよりも断然)、自然もいっぱいだし、何でわざわざニューヨークに?と聞いてみると、「狭くて、ただただ抜け出したかった」と言っていた。東京出身の私には完全には理解できないけれど、先が見えちゃうというのはつまらないのかな。とはいえニューヨーク暮らしは疲れるらしいが、そんなときはプエルトリコに帰ってくればいい。実はなんとも理想的な暮らしかも!とも思ったが、プエルトリコの経済の弱さ、社会の小ささが彼には耐えられないらしい。

 

ちょうどそのジャグジーの横にキッズプールがあり、上から滝のように水が落ちている。子どもたちは思い思いにじゃれて遊んでいたのだが、小学校高学年くらいの男の子が現れた。

 

彼は坊主頭で、まるで修行僧のように滝の下で水に打たれていたのだが、ずっと打たれていると痛いのか、時々体制を変えるのが見ていて微笑ましかった。なお、突然何か思い立ったのか彼は急に姿を消したのだが、ゴーグルを持って再登場した。目が痛かったんだろうな(笑)

 

そして、そのお兄ちゃんがいなくなるまでずっと黙って静かに遠巻きで、滝にあたる場所の順番を待ち続ける息子。修行僧の修行はなかなか終わらなかったが、ついに順番が回ってきたかと思いきや、他の子に先に越されるという始末。こういうところ、私っぽいなぁ。興味はあるけど、なかなかいけないんだよな。

 

結局次の日だったかに、誰も滝のところにいない日があって、いざ!といわんばかりに滝に進んでいくかと思いきや、今度は水が怖いらしい(笑)。ぐちゅぐゅしていても仕方ないので、私も息子と一緒に滝に入ってみると、ほら、大したことないとわかったのか、楽しさが不安に打ち勝ったのか、満面の笑みで滝と戯れている。そっとその場を離れ、私はジャグジーに移動(笑)。

 

 

プエルトリコには、スペイン時代の要塞が残っており、世界遺産にも登録されている。そもそもスペインだって、もともとプエルトリコに住んでいた土着の人たちからすれば植民地支配をしていたのだけれど、歴史は「スペインがこの要塞を築いてイギリスやオランダ、海賊とどのように戦い、プエルトリコを守ってきたか」という感じで語られていた。アメリカに属することになってからも、キューバ危機などカリブ海におけるアメリカの防衛において、重要な役割を果たしていたようだ。

 

歴史はともかくも、今は凧揚げ場のようになっており、だだっ広い芝生に何もない空が広がっている。確かに凧揚げしても、何も引っかからなそう(笑)。路上ではサックスの演奏がなされ、もうそれはそれは優雅なひととき。サックスのお兄さんが、子どもが集まってきたのを見て、Let it goを吹いてくれるというサービスまで!

 

そして私といえば、プエルトリコ発祥のお酒、ピニャコラーダを昼から飲み、想像以上にアルコール度数が高くて完全に酔ってしまい、世界遺産の真ん中でスヤスヤお昼寝をしてしまった。ある意味すごい贅沢だが、まぁとにかくそれくらい治安はいい。その間、夫と息子は要塞でかくれんぼなどしていたらしい。うぉーーひさしぶりに酔った、気持ち悪い、、、

 

なお、プエルトリコには「ここがピニャコラーダ発祥のお店です」と名乗っているバーが2つある。そして、どちらも正しい。なぜかというと、、、

 

ピニャコラーダを考えたバーテンダーが、その2つのバーで働いていたからだ。

 

と、こういうガイドをしてくれたのは、LEDライトカヌーという何とも人工的なカヌーのお兄さん。夜のカヌーなのだが、カヌーにLEDライトがいっぱいつけられていて、まるで蛍がカヌーによってきているような、、、いや、明らかに蛍ではなくLEDライトですな。(笑)

 

息子は、ライトをあてると光るクレヨンでインディアンっぽく顔をデコレーションし、お兄さんが「これあげるよ」とくれたやはりLEDライトで光る剣を手にして大満足。特に、最後にツアー参加者でカヌーの競争をしたのだが、暗いし視野もそんなに広くないので、自分たちが1位になったと思いこんでいた息子は、誇らしげであった(多分実際は4位くらい?)。

 

プエルトリコの旧市街といわれるところは、カラフルでかわいい街並み。私のプエルトリコ人の友人によれば、トローリーに無料で乗れてラクラク観光♪という話だったが、トローリーが走っているのは一度も見なかった(笑)。やたらハイチのお土産が売っていたり謎も多かったが、「外国にきたぞ!」という感じがして、そして街中のクリスマスデコレーションが商業的というより信心深い感じがして、面白かった。

 

ご飯もおいしくって、モフォンゴというバナナ+何かメイン(チキン、ビーフ、エビなど)という伝統料理もおいしかったし、キューバの何とかっていうビーフを裂いたような料理(名前忘れちゃった)もかなりおいしかった。日本の醤油みたいな魚系の調味料があるらしく、だから日本人の口にあうのかな。ただ、夫が頼んPork Can Canというのは、堅すぎて全く食べられなかった。あまりに食べ方がわからず、そして相変わらず堅すぎるので、お皿に叩きつけてみるも「カンカン」と鳴る。ある意味名前どおり?もはや斧の音みたい。

 

ホテルのイベントはスペイン語だったが、基本的に英語はどこでも通じる。アメリカドルも使えるし、携帯電話も国内だ。が、ちょっとした違いは、本土とプエルトリコで例えばウーバーのシステムが違うそうだ。プエルトリコには競合他社のリフトがなく、競争がないからか、ガソリン代が100%運転手もち(本土は割引があるそう)、Uber Eatsの提携先からのベネフィットもない、取り分も少ない、、、と、運転手さんにはあまりいい条件ではないそうだ。

 

2020年のSuper Bowlのハーフタイムショーで、Jloがプエルトリコの国旗を掲げたことが話題になった。アメリカに住むヒスパニック、プエルトリコとアメリカの関係に問題提起をした(Born in USAを歌いながら、檻のような籠からJloの娘さんが出てきたり)。

 

コロナや大統領選で、黒人やヒスパニックの人種問題が再びスポットを浴びる一方、プエルトリコの独立問題は、コロナによる観光客の激減、アメリカ経済の低迷とともに下火になっている。一度観光で行っただけだけれど、一度でも行ったからこそ、他人ごとな気がしない。現実的には、プエルトリコがアメリカから独立するというのは相当難しいと思うが、プエルトリコ人が、ジャグジーにつかなりながら誇りを持って故郷のことを語れる自由があるといいなと思う。

Indiana Dunes

子どもの中でも流行り廃りというのはあるもので、我が家のかわいいかわいい息子は、謎の言葉の組み合わせを思いついて一人でゲラゲラ笑っていることが多い。

 

ついこの前まで「まるーになったよぉーーー」と歌うように連呼しており(なお、意味は不明。形としての円を言っているわけではなさそう)、よくわからないなりに私も夫も笑って真似していたところ、もう今は全く言わなくなった(が、夫は癖になってしまいまだ言い続けている笑)。最近は「しゃんぷぅ!」と発声するのにはまっていて、多分“シャンプー”の語感が気に入ったのだと思うのだが、「Shampoo can mean anything! It can be Yes or even No!!」と言って、何を言っても「しゃんぷぅ!」と答える。それから、急に「flamingo!!」と叫んでフラミンゴポーズ(グリコみたいな。両手上げて片足で立つやつ)をとる。きっとこれもそのうち全くやらなくなるんだろうな。

 

そして最近の傾向は、「○○に行こうか」と誘うと、必ず「行きたくない」「家にいたい」などと渋ることだ。これが本当なのか嘘なのか、なかなか見分けがつかない。本当だったら前に何かあったのかもしれないし、でも行ったら行ったでめちゃくちゃ笑顔で楽しんでたりする。

 

そして、今日も「行きたくない」とムスッと怒っている息子。行き先はIndiana Dunes。シカゴから車で1時間弱で行ける、ハイキングコース&ビーチがあって山も海も楽しめる、我が家お気に入りのだだっ広い国立公園だ。ふくれっ面の息子を、何とかお菓子で釣りながら説得して車に乗せる。「楽しいよ!ビーチあるよー!砂丘あるよーー!」、、、ハイテンションで話し掛け続ける私。何でここまでして連れていかなきゃいけないんだっけ(笑)

 

この国立公園は、トレッキングのコースがたくさんあるが、特徴的なのは道の土。砂丘の砂なのだ。海辺を歩いているような感覚なのに、森の中。不思議。そして歩きにくいので結構疲れるのだが、極めつけは坂道。ヒップアップ効果を期待して(笑)、one, two, one, twoと言いながら息子と手をつないで崩れかける砂丘を一生懸命登っていると、嬉しそうに「トレーニングにぴったりだ」と笑顔の夫。本気ダッシュで駆け上る。はやっ!陸上選手のトレーニングに、こういう砂浜で走ったり坂道を駆け上ったりするのがあるそうで、砂丘というのは、それらを掛け算した(砂浜×坂道)、まさに理想のトレーニング場所らしい。

 

同じ国立公園内とは思えないほど、どのトレイルも表情が違うが、衝撃だったのは、馬も通行できるトレイル。多分コロナがなかったら、私たちも乗馬なんかもできたと思われる場所。今は何にもない、、、というわけでもなく、個人で馬を持っている人が(そんな人いるんだというカルチャーショック!)、自家用車に馬用の荷台をくくりつけて、お散歩に現れる場所になっている。

 

ここに行った理由は馬ではなく、馬を驚かせないため、他の動物・ペットが一切禁止されていたからだった。何を隠そう、私は犬が怖い。特にアメリカ人が飼っている犬はでかすぎる。そして、綱をつけていない人も結構多い。許し難いのは、この世の中に生きとし生けるもの、みな犬が大好きだと信じている人がいらっしゃることで、犬が吠えながら私に近付いてきて、私がびびって逃げたりしているのを、「he is a good guy」とわけのわからないことを言ってニコニコ見ているのだ。早く首輪に綱つけてください、、、

 

というわけでトレイルにも、犬を連れて歩いている人たちがたくさんいる。だから私はこの馬のトレイルに期待していた。そう、犬を含めたペットが禁止されているのだ。犬がいない。いや正確には、犬はいない、けど馬はいる。

 

そうなのだ、馬はいるのだ。馬は特に怖いと思った経験はないのだが、我が家の真ん前にあるグラントパークでの警備は馬に乗った警官が行っており、この時に衝撃だったことをすっかり忘れていた。

 

犬の糞は飼主が片付けるのがマナーだが、馬の糞はそのまま放置されるのだ。

 

結果、このトレイルには馬の糞だらけ。糞を踏まないように歩くのにコツがいるくらいだ。出来立てホヤホヤなのか、日光を反射してテカテカしているのもある、、、

 

そこに集まるたくさんの虫。

 

臭いはそこまでではなかったが、とにかく虫がすごくて、ちょっとでも口開けたら食べちゃいそうな感じだった。せっかく来たから景色を見たいという思いと、さっさと帰りたいという思いを戦わせ、とりあえず早歩きするという作戦に出た私。夫や息子はあまり気にしていなかったのは、さすがとしかいいようがない。

 

結局Indiana Dunesには3回行ったが、お昼はいつもビーチでお弁当を食べていた。ビーチといっても、海ではなくミシガン湖沿い。でもミシガン湖、大きすぎて海みたい。ビーチというに値するくらい、ここは砂浜。が、水は海水じゃないので塩水ではなく、遊んだ後もベタベタせず楽だし、波も穏やか。川遊びでよくする、石を川面に投げて、ぴょんぴょんと跳ねて飛ばすゲーム(?)もできる。何なら、それにぴったりな薄っぺらい石がたくさん砂浜に転がっている。かなりオススメ!

 

子どもって天才だなーーと思うのは、こういう時に、何も遊び道具などがなくても自分で遊びを見つけること。波と追いかけっこしているかと思えば、砂浜に線路を書いたりしている。穴を掘り出したかと思えば、落ちている木の枝が波で揺れているのと何やら戦っている。そういう時、息子はきまってブツブツ何かを言っているが、私には聞こえない。この集中力はものすごいので邪魔しないように、私はひっそりと息子を見守る。あるいは、私は私で砂浜でヨガのポーズをとってみたりしている。が、気持ちいいなぁと風感じていると急に、息子からああしろこうしろと指示を出されたり(えぇ、穴を掘らされました)、「ママ見て!」とキラッキラの笑顔でぐちゃぐちゃの海藻を見せられたりする。

 

Indiana Dunesはさすが国立公園なだけあって、トイレもしっかりしているし、駐車場も整備されていて、とても行きやすい。ちょっとびっくりだったのは、国立公園に隣接した個人の家が立ち並んでいるところに、南軍の国旗が掲げられていたりすること。このご時世、黒人差別を示唆する南軍旗を堂々と掲げるのは、相当の筋金入りなのでないかと思う。あと、ネイティブアメリカンの人たちに対して、植民地支配された時に仕事として許容されていたカジノが、何にもないところにポツンと残っていてまだ経営していたり。なお、州名のインディアナは「インディアンの土地」という意味だが、当時いた部族のほとんどが強制移住させられたそうだ。

 

最近シカゴはまた強盗事件や暴動が発生して治安が悪化し、領事館から来たメールによると、この1週間で銃撃事件が75件、1ヶ月だと360件あったとのこと。もともとシカゴはそんなに治安がよくないと言われているが、この数字は例年よりかなり多くなっているし、治安がいいといわれていた地域でも事件が起きるようになっている。

 

何でシカゴが、と思うが、大都市であることや政治基盤などが関係しているのだろう。同僚は、6月と今月の2回の大きな暴動で、もうお店から盗むものも完全になくなったし、警察も増員されたので、かえって治安がよくなったかもと笑っていたが、もう3度目は起きないことを祈るばかり。

 

アメリカに来る前は、トランプ大統領はいわゆるRusty Beltと呼ばれる、昔栄えていたけど今は錆びている工業地帯で働いている白人労働者の不満を吸い上げて当選した、と理解していた。今まで白人ということでかえってスポットライトを浴びることのなかった貧困層の鬱憤が、爆発したのだと。白人の貧困層、というイメージは、黒人の貧困層、というイメージと比べて、私にとっては新しかった。

 

が、アメリカにきて、それだけでないことを知った。裕福で学歴もある人たちが、結構トランプ支持者なのだ。彼らに言わせれば、「成功すれば自由が得られる」。自分の力で成功した、だから自分は自由なのだ。黒人が自由じゃないのは、競争に負けただけ。これはかなり衝撃だった。トランプ支持者は、トランプの虚言を妄信しているのではなく、理解して支持していたのだ。

 

かといって、彼らが冷たい人かというと、一概にはいえない。結構ボランティア精神のある人たちも多いのだ。政府が自分の成功を税金という形で吸い上げ、富を再分配するなんて許せない。ボランティアをするかどうか、どこに寄付するかは自分が決める。だって自由なのだから。

 

といっても、こういう考え方も古くなっているようだ。例えば、6月に起きたBlack Lives Matterの大きなデモでは、ワシントンDCは黒人率が白人率よりも高いにもかかわらず、デモ参加者は白人率が6割で、若い世代の参加者が多かったそうだ。人種間というより、世代間格差の方が大きいのかもしれない。だとすると、将来、今の世代が政権を担う時代がくれば、根深い差別の解決に大きく前進できるかもしれない。

 

というわけで、ダウンタウンにいるとちょっと危ないので、週末は車を借り、インディアナで自然をいっぱい浴びてくるというのが恒例になってきた。毎回息子は行きたがらないが、それでも無理矢理連れて行く。そして思いっきり遊ぶ。帰りの車でスヤスヤ幸せそうに眠る息子を見て、「ほら、来てよかったでしょ」と言いながら、息子が大人になったときはもっと素敵な社会になっているといいなと思いを馳せる。