ワーママのアメリカと日本の子育て

弁護士の子育てサバイバル日記

Black Lives Matter

コロナによる自宅滞在命令が解除されたと思ったら、今度は夜間外出禁止令が発令された。理由は、ジョージ・フロイドさんが白人警察に殺されてしまったことへの抗議デモが暴動化したためだ。ミネアポリスに近いシカゴは、全米の中でも特に暴動が激しかった。コロナのときは「ウィルスって目に見えないから怖い」と言っていたが、今回の暴動は「目に見えるから怖い」という感じで、物理的に恐怖を感じた。すごい時期に、アメリカにいることになってしまった。歴史がここで変わるだろうか。

 

黒人差別の歴史はアメリカ建国と同時に始まっていて、とても長く根深い。アメリカの発展と奴隷制度は切り離せないし、奴隷解放宣言が出されると労働力が不足し、黒人を理由なく逮捕して囚人にしてその不足を補った。経済が衰退すると誰かのせいにしたくなる。それを奴隷解放と重ね合わせることで政治的に利用され、黒人への差別がさらに固定化され制度化されていく。文化的にも、「昔はよかったな」的な映画では決まって主人公は白人で、黒人を動物のように描く。名作といわれる「風と共に去りぬ」なんかも古い固定概念に寄与していると批判されている。そして今でも、死刑囚の9人に1人は無実の罪で死刑執行されており、ほとんどが黒人だ。

 

コロナウィルスの感染も、黒人の感染率は白人より高い。あるデータでは入院率が4倍以上だ。アメリカには無保険の人がたくさんおり、彼らは病院にそもそも行かない(行けない)ので、それを考慮するともっと差が広がると思う。


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同時に気付くのは、黒人と同じくらい入院率が高い、ネイティブアメリカン。医療における黒人についての格差は、コロナウィルスをきっかけに結構言われていたが、ネイティブアメリカンについて触れられているのは少なかった印象だ。ネイティブアメリカンは人数が少ないからかもしれないが、non-whiteの中での格差も広がっている気がする。

 

こちらのデータではラテン系が最も多い。


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私がアメリカの憲法判例を勉強して理解した範囲では、アメリカには白人優越主義(white supremacy)があって、その下に元奴隷の黒人がいるというカーストがある。アジア人やヒスパニックは、このカーストにも入っていない、「カースト外」というカテゴリーだ。ネイティブアメリカンは、触れられることすらない忘れられた存在だ。Black Lives Matterの運動に何となく違和感を感じるのは、黒人だけにフォーカスしているからなのだろうか。私は、アジア人として自分をこんなに意識することは今までなかった。

 

今回のジョージ・フロイドさんの事件で、傍観していた警官のひとりにアジア系アメリカ人がいた。コロナウィルスがアジアから始まったとしてアジア系への暴力や差別が横行していたが、今回の件でもアジアへの蔑視がさらに強まった。シカゴの暴動でも、セブンイレブンや寿司やさん、UNIQLOがターゲットにされていた。悲しい話だが、黒人の中にはアジア人を差別している人がおり、白人にやられたことをそのままアジア人にやり返している人たちがいる(そうでない人もたくさんいる)。

 

もっとも今回の暴動は、おそらくプロによるもので、人種問わず多くの人たちが平和的なプロテストを行っていた。暴動化したのは、トランプ大統領が政治的に利用するためとも言われていて、選挙の票を握る白人女性が、「黒人って怖いわ」とトランプに票を入れることを狙っているらしい。真実のほどはよくわからないが、ROLEXなどの高級ブティックが狙われているのは、暴動にかこつけたプロの窃盗集団な気がする。

 

トランプ大統領は、民主党の市長などを名指しして、対応が悪いと批判した。それに対抗したシカゴ市長のスピーチがかっこよかった。「私はあなたに二つの単語しか言うことがない、Fから始まってUで終わる。」

 

シカゴは確かに強力な対応策をとっており、正直コロナウィルスのときより厳しかった。まず物理的に人がダウンタウンに集まれないようにした。シカゴのダウンタウンは、シカゴ川が北に流れているのだが、そこにかかっている橋を全て封鎖した。高速道路の出口も全て封鎖、バスは中止、電車はダウンタウン内は停車せず郊外のみをつなぐ。ダウンタウン内への移動は住人と勤務証明書を持ったessential workersだけ。とはいえ、物理的に橋がかかっていないので、対岸に行けないから無理。コロナの時は散歩が許されていたが、この状況だと家にいるしかない。事務所の同僚は、暴動があった日はビルから出られず、食べるものもなくその日は事務所に宿泊したそうだ。

 

気付いたら街にはmilitary policeと書かれた戦車のようなものが走っており、珍しく普通のバスが走ってるなと思ったら大量の警察官が乗っていて、我が家の近くで停車して降りていった。こんな大事なんだ、とあらためて実感すると共に、これだけ守られていれば普段より安全かもしれないと思うくらいだった。

 

Every live matters.歴史がここで変わりますように。

 

 

コロナウィルス~その4

自宅待機命令が出てから3ヶ月ほどが経った。当初はまだ気温はマイナスで雪が降っていたが、今日は29度という猛暑だった。ちょっと肌寒いくらいがちょうどよかったのにな。誰が始めることもなく始まった、夜8時から少しの間だけ大きな音を出して騒いでいいというpenlight partyも、今では8時だと外が明るすぎるので8時半からになった。最初は、8時になっても何も起こらなくなったので「さすがに飽きちゃったのかね」と家族で話していたが、気付いたら毎日8時半から何やらフラッシュライトが眩しくラッパが鳴り響いていた。誰が指揮をとっているのかわからないが、続けるってすごい。

 

何かを続けるというのは難しくって、自宅待機を機会に読み始めた本も、まだ第4章だ。息子のオンライン授業も今月はドロップした人が多く、クラスの半分以下しか残っていない。まぁ5歳なので、パソコン漬けよりも、天気もよくなったし外で思いっきり遊ぶ方がいいかも。

 

人数が少なくなってきたお陰で私もだいぶクラスメートの顔と名前を覚えてきた。5歳となるとみんな口も達者で、オンライン授業がちょっとカオスでぐちゃぐちゃになってきたら"What is the meaning of this? Why do we need to keep doing this?  I just don't get it."と言ってみたり、家で何して遊ぶのが好きか聞かれたら"I like LEGOs and I always play it with Dad.  Mom says she is not good at it but I know she can do.  You know, I pretend to understand her."と言ってみたり。

 

最近の授業では、"would you rather A or B?"とお互いに質問を言い合い答え合う、というコーナーがあるのだが、「ピザとチョコレート、どっちが好き?」とか組み合わせが面白い。他にも「スポーツの試合観戦、最後まで観るのと途中で帰るのどっちがいい?」という質問があり、どういうことなのかな、、、と思って聞いていると、「ホークスの試合見に行った時、ずっと下の方を見ていて首が疲れたから、僕は途中で帰るのが好き。パパも時間が遅いから帰ろうって言ってるし。」とのこと。確かにホークスの試合は、遅い時間帯にやってるよね(笑)

 

子どもたちもコロナの影響を受けていて、corona-buddyとお互いを言い合ったりしている。息子も、「どうやったら人に優しくできるか考えて答えましょう」という宿題で、「他人にウィルスをうつさないように手を洗うこと」と答えていた(笑)。

 

同僚の子どもは小学2年生なのだが、一日合計90分以上オンライン授業をやってはいけないことになっているらしい。これはパソコンばっかりやらないようにするためらしいが、それでカリキュラムはちゃんとカバーされているという建て前らしく、同僚は「普段も実質的には1日90分分しか勉強していないのか」と笑っていた。

 

職場でもコロナの影響が出始めたが、まず何より上司に連絡しやすくなった(笑)。出張がなくなり、常に連絡取れる状況にあるというのは、結構有り難い!また、部署によっては案件が減ってきているのだが、それならばとknowledge managementということでチームが編成された。今までもチームはあったが、どうしても「仕事が忙しい」と言い訳して後回しにしていたところはあり、新たにチームを組んで積極的に取り組み、さらにそれをクライアント向けに仕上げて営業をかける、という、日本の法律事務所にはないスピードと営業力に驚いた。

 

大学も色々と発信しており、ハーバードからは毎日のように連絡(=寄付金のお願い)がくるが、ちょっとした講義のようなものもあって、学生に戻った気分で見てみたらとても面白かった。

 

憲法のMinow教授は、今の時代に必要なものとして「forgiveness」をあげていた。法律は罰するためのものだけじゃない、「許し」のためにも法律はある、と。テレビドラマの影響というか日々の感覚として、確かに法律は「処罰」の道具、人の行動を「拘束」するための約束ごと、みたいなイメージはある。契約書だって、自分の意思とはいえ、ある意味お互いを縛るためにあるようなものだ。

 

他方で、倒産の処理方法、刑事事件における検事の裁量、大統領の恩赦など、法律には「許し」の要素もある。言われてみるまで全く気付かなかったが、コロナで大変な中、どうやって法律を「許し」のために使うかというのは、これからの世の中を形作っていく大切な一要素だと思う。

 

教授は、これらの「許し」は行為自体を正当化はしないし、犯罪は犯罪であることも忘れてはならないと言っていた。だけど、それをどうやって解決するかが問われている。

 

日本でも白熱教室で有名なマイケル・サンデル教授は、お得意の質問形式で講義をしていた。

 

今アメリカで起こっているのは、お金持ちやリモートで勤務できる恵まれた人たちがお金を払い、失業するわけにはいかない人たちが日々の買い物などを請け負って外出し、コロナのリスクを負っている。現状、コロナのリスク分の代金は上乗せされてはおらず、今までのサービス料金と同じだ。これに倫理的な問題はあるか。リスク分を上乗せすればいいのか。危険な仕事に従事する人に特別手当てが支払われる。命のリスクをとって戦争に参戦する軍人が許されて、コロナのリスク分をとって買い物を代行する人は許されないのか。

 

また、最近話題のimmunity passport。コロナの免疫があることを証明して、リスクがないから外出できるようにするものだ。これについてはいろいろと議論がなされているが、面白かった視点は、immunityが証明された学生だけキャンパスに戻ることができ、そうでない学生はオンライン授業を受け続けなければならないというのはどうか、という質問。

 

オンラインでも質の変わらない授業提供するとうたっている建て前もあるので、反応が面白かった。我が家の実体験としては、通学がなくなり、またパジャマで出席できるので1限の授業が取りやすくなったのと、録画があって復習しやすくなったというのがメリット。デメリットは、テクニカル面でのトラブルや時間ロス、集中力が切れる、グループワークはやりづらい、などなど、、、多くの大学が、成績評価を4/5段階評価からpass/failの2段階評価(=誰でも単位来る)に変更したことからも、まぁデメリットは否定できないのかなと思う、、、授業前後にクラスメートとちょっとした会話をするのがキャンパスライフの醍醐味だったりするし。

 

それから、nobless oblige的な発言があったのも面白かった。ハーバードが何らかの方法でハーバードを開校することに成功した場合、ハーバードだけ開校していいか。ハーバードに通えるラッキーな人と、そうでない人で差が出てしまうのではないか。でも、ハーバードを開校できるのにしないのは全体としてはマイナスなのではないか、開校して問題の解決に役立つ人材を育てていった方がいいのではないか。

 

気候がよくなったからか、我が家の目の前の公園も人であふれている。一応みんなマスクやマスクもどきをしている。謎なのは、シカゴのシェアバイクはOkなこと。誰も消毒したりしていないし、誰が使ったかそれこそわからないだろうに。。。ついでに当初、バスケットボール即座に禁止されてコートからゴールがはずされたが、テニスはなぜか許されていた(まぁ確かにバスケよりは密じゃない?)。不思議だなと思っていたら、つにテニスも禁止された。それでもみんなテニスやっていたので、ネットが外された。が、今度はネットなしでテニスをやり始める人が出てきた、、、ちょっとやそっとじゃめげないシカゴピーポー。閉鎖されている公園も平気で柵を乗り越えてゆく、、、まぁ開放されている公園の密度が下がるからいいか(笑)

 

コロナとは関係なく急に停電し、夫は大学の最後の授業を受けていたのに、wifiが切れてあえなく途中で尻切れトンボになってしまった。が、シカゴピーポーに負けずめげない夫は、最近公開されたマイケル・ジョーダンの「ラストダンス」というドキュメンタリーの中のエピソードになぞらえて、マイケル・ジョーダンのいたシカゴで、マイケル・ジョーダン同じように途中で終わってしまったことに、むしろ感銘を受けていた(笑)。

 

私はマイケル・ジョーダンの人となりに若干衝撃を受けたが(それまで全く知らなかったので・・・夫としては、マイケル・ジョーダンがそこを気にしていたことが人間くさくて何とも言えない発見だったらしい)、どちらかというとミシェル・オバマのドキュメンタリーに感銘を受けていた。

 

彼女のメッセージの中に「be vulnable」というのがあった。大変だった去年の留学生活で、私はどちらかというとコミュニケーションを避けることで傷付かないように自分を守るところがあった。今でも仕事で失敗すると、次が怖くて手を挙げられないことがある。「頑張るぞ!」と自分を奮い立たせても、失敗や嫌な思い出がぐるぐる渦巻いて、気持ちがついていかない。

 

彼女は、黒人としてプリンストンやハーバードに通った時、選挙期間バラク・オバマと一緒に演説していた時、First Ladyとして一挙一動注目されていた時、、、信じられないような批判もたくさん受け、傷ついた。そんな彼女がbe vulnerableと言うのだ。そこに未来を切り開く可能性があると。コロナで時間がいつもよりあるので、なんか色々考えてしまったが、真夜中に彼女のbe vulnableという言葉を聞いて、ちょっと前に踏み出せる気がした。

 

コロナウィルス~その3

まさかこんなに長引くとは思っていなかった。外出禁止令が出されてはや2ヶ月。コロナウィルスのワクチンができても、また次の冬に同じようなウィルスが毎年流行ってしまったら、今の状況が恒常化するのだろうか、、、

 

コロナの企業法務への影響。

 

①大きなところでは人事とファイナンス。

 

②人事は、まずは給料保証。コロナ感染を防ぐための自宅待機だった場合、保育園閉鎖に伴う育児休暇、リモートアクセス体制が整っていないがゆえの休業(リモートアクセス体制を整えることまで会社には義務として求められていないし、従業員の責任でもない)など。一定の給料を払いつつ、あとは保険や公的補助を申請してくれ、というのが落としどころ。リストラもアメリカは日本より簡単なので、すごいことになっています、、、

 

③人事のほかの点としては、例えばストックオプションを役員に報酬として付与していた場合、コロナ不況により会社の実績云々によらず株価が全体的に暴落しているので、役員が「自分の業績が適切に評価されていない!」とインセンティブを喪失したり、他社に転職してしまうリスク。

 

お金以外の論点は、会社の出張で外出していたら外出禁止令違反で捕まってしまった場合。必要不可欠な仕事であれば外出禁止令の例外として外出も認められるので、travel letterのようなものを会社として発行して従業員に持たせておくのがベスト。ローカルな警察は、必ずしも「必要不可欠な仕事」の解釈や例外規定まで十分に理解していないので、そのようなレターがあれば呼び止められてもスムーズに対応できる。特にアメリカは州によって規制が違うので、州をまたぐ出張の場合や運送業などは要注意。

 

④ファイナンスは、ローン借りている会社が営業停止で返せなくなってコベナンツにひっかかり期限の利益喪失したりすることになるが(最悪の場合は倒産のきっかけに)、でも営業停止になったのは会社のせいではないし(会社や事業のリスクが現実化したわけではない)、銀行としても全額回収できなくなるのは困るので、銀行から期限の利益を喪失をしないことの確認書をもらったり、返済計画を修正したりする。借入枠がある会社は、コロナ不況を理由に借入ができるかとか、資金使途の制限がどうなるかとか、お金廻りは論点が尽きない。

 

⑤一般的な話として、コロナが不可抗力に該当するか、という論点。不可抗力に該当すると、免責になるから議論がすごいことになっている。肌感覚としては、コロナは万人に無差別に降りかかってくる予測不可能な脅威なので不可抗力なのだけれど、一概にそういってしまうと結論が不公平だったりする。

 

ということを、さっとまとめて事務所内で共有されるところがすごい。他にもアメリカでの独自の論点として税務申告の期限、政府からの補助への申請の仕方、さらにベビーシッター文化が根付いている上保育園閉鎖でさらに需要が高まっていることもあり、ベビーシッターに対する雇用主の責任なんかもある。プロボノ活動についての言及もあり、アメリカの大手法律事務所は真のプロ。ちなみに、外出禁止令の例外として認められる「必要不可欠な仕事」に弁護士事務所も入っているので、私は外出が許されている。いいんだか悪いんだか。外歩くの正直怖いよ、、、シカゴのダウンタウンはそこまでではないが、人通りが少なくなったことと、失業者が増えたことで、治安は確実に悪化している。コロナだけじゃない。

 

息子は通っている保育園もオンラインに移行した。いやいやオンラインって、、、預かってくれないと意味がないというかせっかく大金払って息子の英語力に投資しているのに!もちろんこれを理由に保育園代は返ってこない。Zoomでレッスンがあったが、5歳児のZoomはカオス、、、何も喋らないか何かしゃべり続けるか、、、かわいいけどね(笑)

 

そんなこんなで在宅勤務なんてスムーズにできるわけなく、システムはあっても家にエネルギーを持て余した5歳児がいれば、集中して仕事できることはない。それに、職場は仕事ができるように最適化されているけれど、家はそんなふうにできていないので、机とかスペースとかも、何かやりにくい。まぁ何より時間が貴重なので、私をひとりにしてもらうために息子にはテレビの前に座ってもらうが致し方なし、、、結局PJ Masksという子ども向けの番組のオープニング音楽が私の頭の中をぐるぐるリピートし続けるが、、、

 

Zoomで週1のhappy hour meetingがあり、チームで顔合わせ(バーチャルだけど)をする。暇すぎて犬を買った弁護士がいて、トイレトレーニングに時間をとられて嬉しいと言っていたのには笑えた。あと、もともと歩きながら考える癖のある人が、家だと狭くて歩き回れないということでウォーキングマシーンを買って、パソコンの前に設置して走っているとか、、、が、こういうsmall talkが私は一番苦手、、、みんなが見ているドラマの話なんて全くついていけない。ちーーん。

 

あとZoomで開催されているのはヨガ。こちらはついていける!(笑)なお、今学生の夫もオンラインで授業を受けているが、それはそれで別にいい感じらしい。初回なんて気合い入れて髪の毛ワックスで固めてえり付きシャツを着ていた。もちろん2回目からはトレーナー(パジャマ)で髪の毛はニワトリみたいだったが笑。あと、いきなりオンラインで指名されて質問に答えさせられるらしく、これはかなり嫌で最悪の思い出だと私も思う、、、卒業式もなくなっちゃったしね、、、

 

シカゴもだいぶ暖かくなってきて、外を散歩するのが気持ちよくなってきた。みんな油断したのか我慢できなかったのか、ある日とても暖かい日に、公園で人がいっぱいになった。外出禁止令は出てはいるが、ジョギングは許されている(ちなみにガソリンスタンドでの給油も許されているのが車社会のアメリカっぽい。)。だから別に悪いことしていたわけではない。

 

が、その日の夕方に外出禁止令の追加が発表され、即日公園が閉鎖された。集まりすぎでsocial distanceが維持できないと。めげないシカゴ人は、今度は毎晩8時に、indoor dancing partyを開催し始めた。誰がはじめたのかよくわからないが、なんかうるさいなーーと思っていたら、どうやらみんなこの時間だけは窓を開けて騒いでいいということになっているらしい。息子もペンライトを持って隣りのマンションの人と信号を送りあっていた。息子に何を伝えたのか聞くと、誕生日が近いこともあり、みんなが毎晩自分の誕生日をお祝いしてくれていると思っているようだった、、、

 

シカゴでも最近はマスクをしている人が増えた。手作りマスクも流行っている。トランプ大統領もいきなりマスクをオススメし始めた。なお、この大統領、記者会見中、あまりに誤った情報が多過ぎて視聴者に誤解を与えないために、途中でテレビ各局が会見の放送をカットされたというまぁすごい人だ。どこまでわざとなんだろう、、、大統領選挙も控えているから、(本人じゃなくても少なくとも周りのブレーンが)色々考えているはずなんだけど。

 

アメリカっぽいいいところは、例えばマンションのエレベーターに、いつもマンションをきれいにしてくれる清掃員の方の名前がour herosとして掲示されていたり、Zoomでやたらコミュニケーションとろうとしたり、social distanceの中でもconnectionを見いだそうとするところ。

 

とはいえ、social distanceを覚えたばかりの息子は、Frozen 2を見て、キスやハグしちゃだめだ、ウィルスうつる、と言っていた。子どもって順応性高い。コロナ、っていうのも響きが気に入ってしまったみたい。無邪気すぎる。

 

まさに「kingdom of isolation」で日々を送っているが、早く普通の生活に戻りたい!

コロナウィルス~その2

コロナウィルス騒ぎで当初日本は危険とされていたが、あっという間にアメリカの方が危険になって、留学生の不安が「一度日本帰ったらアメリカに再入国できない」から「アメリカから日本に帰国できないんじゃないか」に変わった。コロナウィルスは全世界にとって初めてだしまだわからないことも多いものの、日本は自然災害が多くこういう緊急事態にも慣れているというか(アメリカは緊急事態に脆弱)、中央集権国家で国として管理しやすいのか(アメリカは連邦制で各州の権限が強い)、衛生観念も医療制度も発達しているからか(手洗いよりハンドジェル、うがいの習慣はない。医療制度は複雑で金持ちしか恩恵を受けられない)、職場でもyou guys are doing greatと褒められる。実際に日本にいたらもっと違う感想を持ったのだろうけど、アメリカにいると、日本にいた方が相対的には全然よかったのじゃないかと思ってしまう。

 

日本で色々と売り切れたのと同じように、アメリカでもトイレットペーパーやハンドジェル、殺菌シートが常に売り切れ。違いといえば、スーパーで真っ先に売り切れたのが米ではなくポテトチプスだったことくらいだろうか。我が家も食材がすっからかんになった棚の前であんぐりし、翌日は朝一で並んで生鮮食品を入手した。アジア系のスーパーは在庫豊富との噂どおり、米なども問題なく入手できたが、お気に入りのキムチはすっかり売り切れており、ちょっとがっかりだった(キムチは日持ちもするし大量買いにぴったりだったのにな)。なお、コストコはレジで1時間以上待たなければならないらしい。もはや椅子取りゲームみたいだ。たまたま出張帰りの友人は、トイレットペーパーがたまたま切れており、お店に行ったら在庫切れとのことで、「近くにお住まいの方、トイレットペーパーを1つ分けてください」と呼びかけていた(笑)。

 

シカゴは保育園や学校、博物館・美術館、レストラン・バーなどありとあらゆる施設が閉鎖、ついでに外は雪、息子と家にいても何もすることがない。ましてやリモートワークなどといって家で仕事するなんて無理。SkypeやZoomなどのシステムがよく使われているようだが、ほらね、時計マークが出たまま画面が切り替わらず、繋がらない。10分経過。そりゃアクセス集中するよね。

 

ハーバードは留学生も含めて学内の寮から強制退去を求めたらしい。授業がオンラインになるとのことで、確かに学校の寮にいなくてもいいけれど、アメリカ国内に帰る実家のない留学生に5日以内に他に住むところを探せというのは、酷すぎる。突然留学生活に終止符をうたれた学生を思うと、本当に可哀想だ。授業料の返還を求める署名運動もあるのも頷ける。学校側としては、オンライン授業でも「ソクラテスメソッド」を使った双方向の授業を提供するとのことだが、オンライン授業で教授に指名されて回答しなければならないなんて、私だったら逃げたくなる。。。が、そこはさすが皆さん慣れているらしく、いち早くオンライン授業に移行したスタンフォードでは、スキー場やはたまたビーチから授業に参加している強者ぞろいらしい。

 

ハーバードのような私立大学だけでなく、公立の小中高の授業もオンラインに切り替わりつつあるが、家にタブレットがある生徒とない生徒との間の貧富の格差が浮き彫りになる。特に緊急なのは、学校の給食でしかちゃんとしたご飯を食べられない子どもたち。家で虐待を受けている子どもたちにとっては逃げ場所がなくなり地獄だ。ニューヨークでは、このような事態をうけて公立校の休校を見送ったらしい。他方でサンフランシスコでは外出禁止令。外を一歩も歩くなと。

 

シカゴ川を大量のバスクリン(一応同じ成分らしい)をまいて蛍光緑に染める、シカゴ名物の聖パトリックデーのイベントも中止。息子が通っていたバスケクラブも中止。毎月楽しみにしていた美術館のFamily Dayも中止。どんどんウキウキすることが消え不安だけが膨らんでいく異常すぎるこの状況。早く早く収束してほしい。

 

 

コロナウィルス

コロナウィルス問題で、真偽のほどは別として色々な記事やニュース、分析やコメントが出回っている。「このピンチをチャンスにかえましょう!」とポジティブにテレワーク、リモートワークの普及を主張する人もいれば、日本では公立校が休校になり困り果てている働くパパママたちもいる。商流に中国が含まれている会社は事業が回らず業務停止に追い込まれる一方で、マスクを始め、非常食としてのカップラーメンにお米など、突然の需要に供給が追いつかないほどの事業もある。閑散としている交通機関、レストラン、ショッピングモールと対照的な、なぜかトイレットペーパーの前にたくさん集まる人たち。

 

アメリカでは、コロナウィルスのことは話題にはするものの騒いでいるのは一部という印象だ。私が住んでいるシカゴでは、アメリカの中では早期に感染者が発見されたにもかかわらず、街を歩いている人の中にマスクをしている人はほとんど見かけない。ごくごくたまにマスクをしている人を見かけるが、ほぼ100%アジア系だ。

 

これが人種差別を呼んでいるのが悲しい。マスクは予防にはならず、感染者が感染を防ぐのに効果的というのが多数説のように見えるが、とにかく日本に限ってみれば、風邪であれ花粉症であれ、コロナウィルスに限らず日本人はよくマスクをしている。台湾人の友人によれば、現在台湾では、マスクをしていないとタクシーの乗車は拒否されるらしい。他方、アメリカ人でマスクをしている人は見たことがない。そんなアメリカ人から見れば、マスクしている人=よっぽど状態が悪い人というイメージになってしまうのか、あるいは単にコロナウィルスが中国から始まったからなのか、アジア人=コロナウィルスという間違った計算式が出てきてしまう。

 

メディアの報道も、コロナウィルス関連の記事については、マスクをしているたくさんのアジア人の写真を掲載している。これでは間違った計算式の答え合わせをしているようなものだ。ニューヨークでは、わざわざチャイナタウンに行ってマスクをしているアジア人の写真を撮ったものが有力紙に掲載されたらしい。

 

アメリカ人がなぜあまりマスクをしないかの理由は諸説あるが、マスクをしていると口の周りが気持ち悪いとか(これは同感!)、買いに行くのがそもそも面倒とか、別に効果ないと思っているとか、かっこ悪いとか、、、特にこだわりがあるわけではなさそうな感じ。ある人はマスクしても電車で吊革触るなら全く予防にはならないからマスクしない、と言っていた。まぁ確かに。

 

面白かったのは、アメリカ人は暗いところでも何でもよくサングラスをかけており、目が隠れているので、口の形で表情を読む、だからマスクで口を隠してしまうと表情が読めないので嫌う、というもの。確かに日本は目は口ほどにものを言う、ということわざがあるし、相手の目を見て本心を探るようなところがあり、言われてみればサングラスはあまりしない(サングラスについては目の色の違いもありそうだけど)。アメリカの絵文字と日本の絵文字を比べでも、アメリカは口のバリエーションが多く、日本は目のバリエーションが多いらしい。

 

同僚と話をしていると、これまた温度感が違い、「コロナウィルスより銃で死ぬ人の方がずっと多い」とか、別の観点だと「今日本行きの飛行機が半額なの。ずっと行ってみたかったけど遠いし高いから先延ばしにしてた。今がチャンスだと思う?」なんて言う人もいる。ある人は、電車でくしゃみをした人がいたら、とりあえず10秒間息を止めて、ウィルスがいなくなるのを待つ、と言っていた。10秒でいなくならないでしょ、と突っ込むと、地面に落としたお菓子でも3秒以内に拾えばセーフっていうじゃない?と言われた(笑)

 

ただ事務所としてはきっちりしていて、定期的にコロナウィルスの情報がマネジメントから届くし、指定された国(日本含む)には不必要に行かないこと、行った場合は14日間自宅待機、という方針だ。あとすごかったのは、事務所内部向けのセミナーで、コロナウィルスのキャピタルマーケットにおける影響を、某大手証券会社のお偉いさんを呼んでパネルディスカッションで議論したことだ。コロナウィルスは一過性のもの、という意見が多かったが、得てして曖昧になりがちで不安を煽るだけになってしまう「コロナウィルスによる影響」というのを、専門家からはっきりとした言葉で、またタイムリーに聞けてとても勉強になった。

 

日本はオリンピック開催もかかっているので大変だと思うが、冒頭で一番はじめに例をあげたように、ピンチはチャンスというポジティブな思考で切り抜けてほしい。例えば、日本には個人情報の壁がついてまわるが、データとテクノロジーをうまく活用している台湾やシンガポールの対応はとても参考になる。

 

日用品の買い占め問題も、ゲーム理論でならった説例のようだ。例えばトイレットペーパーとコロナウィルスは全く関係ないとわかっていても、フェイクニュースを信じて一定程度の人が買い占めに走ると予測できるのであれば、自分も買い占めた方が、買い占めなかった場合よりも、売り切れて買えなくなる可能性があるから得だ。合理的に行動するのであれば、買い占めに走るというのが、ニュースの真偽に関係なく正解ということになる。こういう理論をもとに、消費者に向けたメッセージを発してほしい。

 

コロナウィルスをきっかけにして、IT系の友人は、ビデオ会議の方が面白くなるような仕掛けを作っていたりしているし、医療系の友人は自分の正しいと思う情報をピックアップして共有してくれたりしている。教育関係者は自宅でできる教材を共有し、食事関係の人はレシピを公開してくれている。こうやってあたたかい気持ちが巡り巡って、つながっていくと、本当にもっと素敵なことができる気がする。

 

どうか早くコロナウィルス問題が収束しますように!

アメリカの法律事務所

私は今、ご縁があってアメリカの法律事務所で働いているが、とにかくセレブな感じの大きな法律事務所だ。まるで飛行機のファーストクラスに乗っている気分で、メンバーというだけでVIP対応が待っており、周りの人もいい人ばかりだ。

 

日本の法律事務所と比較してびっくりしたのは、研修や所内での知識の共有にすごくお金をかけていること。ほぼ毎日のようにランチセミナーがあり(その名のとおりランチ付き)、特に1年生に向けた内容が多い。若いアソシエイトが発表することもあり、こうやって元々プレゼン上手い人たちがさらに上手くなっていくんだなぁ、という感じがした。アソシエイトでもパートナーの風格あるし、こう堂々としているのはさすが。

 

新人研修も大規模で、全米に広がる各拠点の新人が、シカゴに全員集合して行われる。こうやって顔をあわせることで一体感とネットワークを構築する。自分の経験を振り返ってみても、同期というのは大変大変心強い財産だ。

 

他方、新人のほとんどは(多少職務経験もある人もいるが)ロースクール出たて=若くてピチピチなので、どんなに有名なパートナーが話していようが、グループワーク中だろうが、まぁもうどんな時でも携帯を離さない。私の隣の女の子なんかは、急に自撮りしたかと思ったらその写真を使って着せ替えし始めた。どうやら洋服の試着をバーチャルにやっているらしい。最終的には、仕事にはさすがに着てこないよね?っていう感じの赤いミニスカをご購入なさった。。。なお、このネットショッピング中、本人はハイヒール脱ぎ捨ててセミナー中とは思えないほどリラックスして席にお座りになっていた。

 

とにかく大きな事務所なので、全員と知り合うのは不可能なのだが、事務所主催でinternalなネットワーキングイベントがあったりして、コミュニティを構築するのにお金をかけている。抽選で商品があたったりするのだが、こういうときは大体バスケや野球、アメリカンフットボールのチケット。事務所が太っ腹だなーーと思うのは、2枚じゃなくて4枚くれること。みんなで仲良く行ってね!という趣旨らしい。

 

事務所が入っているジムもタダで使えるので、私はヨガのクラスに通っている。私以外はみなさんスタッフの方で、和気あいあいとご一緒させていただいている(弁護士は忙しすぎるのだろうか、、、私以外は(笑))。が、事務所の業務委託先の切り替えに伴い、ヨガの先生が契約解消になってしまうということで、彼女たちは「事務所に話をつけてあげる」と声高に宣言し、仕事を失ったヨガの先生を新しい委託先に転職させ、今までどおりヨガのレッスンを継続できるよう交渉した。すごい。すごすぎる。私は、こんなにガッツがあって人情味のあるスタッフの方々が大好きだ(弁護士でなくてもスタッフが結構強いのもアメリカの法律事務所の特徴?)。

 

プロボノにも力を入れていて、退役軍人へのサポートなどがあるのはいかにもアメリカ。私が手伝わせていただいたのは無料法律相談で、今まで行ったことがないそして自分からは絶対に行かない、South Sideとよばれるシカゴ筆頭の治安悪い場所に行かなければならなかった。だが、クライアントは「今まで何にでもケチャップつけてたんだけどね、最近はバーベキューソースなのよ。パスタでもチキンでも何でも。何でかしらね。」と話す愉快な方だった。それはケチャップ食べ過ぎて飽きちゃったんでしょうね…と言いながら、内心ほっとしていた。

 

私は一年の契約なので、このファーストクラスのフライトがいずれ終わることはわかっている。少ない残り期間を、めいっぱい楽しみたい!ので、シカゴよ、早くあったかくなってくれーーーー!!

モンテッソーリ

モンテッソーリ教育、というと、日本ではお金持ちの私立かインターナショナルスクールがやっているイメージの、「良さそうな教育方法」といったくらいの認知度だろうか。イタリアでマリア・モンテッソーリが100年以上前にはじめた教育方法が、アメリカでは、オバマがモンテッソーリ教育を受けていたということで大ブームになり、私立公立問わずあちこちで実践されている。

 

ただ、大ブームの反動で「なんちゃってモンテッソーリ」というのも横行しており、inspired by Montessoriと書いてあったら要注意だ。モンテッソーリを歌っていても全く違うことをやっている園も多いのだ。保育園を下見せずに決めなければならないから、「良さそう」なモンテッソーリ園に通わせるのがいいのではないかと思ったものの、結局ホームページなどに頼らざるを得ない。そこで我が家は、American Montessori Society (AMS)のメンバーとなっている保育園から、シカゴのダウンタウンエリアにある園を選ぶことにした。

 

ボストンでのママ友から、モンテッソーリ園は入園前に面接があるよ、と事前に聞いていたものの、「シカゴに面接に来い」とメールが来たときは驚いた。慌てて事情を説明し、電話面談にしてもらったが、ネイティヴではない私としては、電話面談ほど緊張するものはない。ボストンとシカゴの時差を何度も確認しながら、緊張して電話を握りしめて時間まで待っていた。

 

内容はよくあるQAではあったのだが、園側の受け答えがとてもしっかりしていてすごく印象がよかった。それに、ボストンの保育園と違ってメールの返信なども早く、スムーズにコミュニケーションできていたのもよかった。こちらが面談されているのか、私たちが面談しているかよくわからなかったが(笑)。ここなら安心と思い、他は応募しなかった。

 

いざ入ってみると、それはまぁ厳格なモンテッソーリ園で(笑)、キャラクターもの禁止、教室の見学は外の窓からのみ(子どもの集中力が妨げられるため)、午前中は「お仕事」の時間、午後は「アクティビティの時間」ときっちり分けられ、担当講師も異なる。親子で教室に必要なものを揃える課題もあり、全員分のイチゴやらオレンジ、ワッフルなどの食材(ナッツフリー厳守!)、トイレットペーパーやウェットティッシュなどの日用品まで、大量に購入して保育園に持って行かなければならない。あまりに大量で、複数回回ってくるので、授業料少し上げてもいいから、保育園でよしなに買ってくれ、、、と思ってしまった。他のお母さんも、「スーパーに一緒に行くっていう趣旨かもしれないけど、Amazonでポチッよね」と笑っていた。

 

息子もこれまでのゆるふわ先生と違う厳しい先生を目の当たりにして、「僕は大きいから、学校ではみんなの見本にならないといけない」とちょっと緊張してストレスを感じてるようではあったのだが、「でも家ではふざけたり甘えたりしていいんだよね」と上手く中と外を切り分けているようだった。そして、想像以上に、モンテッソーリの特徴である「お仕事」が息子にはまったようで、気付いたら4歳で4桁の足し算引き算をやっていた。そういえば、ボストンでの友人も、保育園をモンテッソーリ園に変えたら、5歳で、8歳用の字がいっぱいで絵のない本を読むようになったと言っていた。年齢関係なく、才能をどんどんのばしていくこの環境はすごい。ただ、あわないとちょっと窮屈で子どもは嫌がるかもしれない。

 

「お仕事」というのは、何か一つの目的のために作られた教材で、例えば、指先の器用さを高めるために豆粒をひたすら他の皿に移したり、言語であれば単語と絵を組合せたり、、、といったものがある。多目的ではなく、一つの目的で、一つの仕事に集中する、というのがポイントだそう。4-5才児が、黙々と個々に別々のお仕事をやっている光景は、何だか子どもらしくない気もしてちょっとびっくりだった。なお、他のお友だちと何かを一緒にやったりするソーシャルスキルは、午後の「アクティビティの時間」の範疇だそうだ。

 

今後に向けて、ということで保護者会があったのだが、6歳以降は、何で何でと質問責めだったwhyの時期から、「どうやって」と結果だけでなくプロセスに注目したり、それを自分でやってみるための問いであるhowの時期に移行するそうだ。そして、「ヒーロー観念、想像力、公平性」の敏感期らしい。

 

ヒーロー観念というのは、スパイダーマンなどのいわゆるスーパーヒーローではなく(キャラクターもの禁止だしね)、歴史上の人物などをいうらしい。家族に尊敬する人を聞いた後、その人たちについてみんなで調べ、共通する部分を抽出してまとめる。これは抽象化の訓練にもなるらしい。そして、抽出した事項が自分にも当てはまる!僕もヒーローだ!と、子どもたちは大喜びだそうだ。なお、お父さんの請け売りかなんかで、「尊敬する人はウォーレン・バフェットだ」(アメリカの超金持ちの投資家)と言った子がいたらしい(笑)。

 

想像力の敏感期は、今目の前にないものでも言葉でそれを想像したり、他人の立場にたってものごとを考えたりすることができるようになる時期をいう。言葉だけで世界一周旅行をしたり、毎朝のミーティングで誰かに感謝を述べたりすることができるようになる(自分も言われたら嬉しいからありがとうと言う)。

 

そして、公平性や正義感。正しいことは正しく、間違っていることは間違っていると、はっきりと白黒をつけたがる時期。この園では、もめ事が起こると、模擬裁判のようなことをやるそうだ。原告・被告、裁判官、陪審員、それに弁護士も加わって、結構本格的らしい。6歳の正義感で、自分の主張をする。パブリック・スピーキングのスキルはこうやってのびる。なんともアメリカらしい。

 

モンテッソーリ園では、子どもたち自身が課題を見つけていくのが原則なので、テストや成績表などは小学校でもない。それはそれで不安な気もするが。もちろん、年齢に応じて学ばなければならない項目というのはあるので、先生が誘導する(例えば、会話でなるべく長い単語を使って、子どものボキャブラリーを増やす)ことはあるが、先生曰わく、子どもたちが色々思いついて提案してくれるので、その必要はほとんどないらしい。

 

朝のミーティングでは、①天気と②誰かへの感謝、③困っていることを議題として設定しているそうなのだが、①天気について話しているうちに、毎日記録をとろうということになり、子どもたちの提案で、月ごとに晴れの日が何日か、雨はどれだけ降ったかなど、データをまとめているそうだ。また、かわいい提案として④Fish of the day(今日の魚)というコーナーが最近できたそうで、金魚などの身近な魚だけでなく、図鑑を見ながら難しい名前の魚を選んだりしているそうだ。

 

実際にモンテッソーリ園に通い、「良さそう」なお金持ち保育園といったイメージから、もっと具体的な良さがわかってくるようになった。息子の意外な一面にも気付かさせてくれた。

 

日本では、保育園は両親共働きでないと入れないが、両親共働きかどうか関係なく、保育園に週1回でも通えるようになったらいいのではないかと思う。モンテッソーリに限らず、外に出ると、どんな年齢の子どもでも、親からは見えない発見がある。もっと日本でも、みんなに開かれた教育があるといいな。