ワーママのアメリカと日本の子育て

弁護士の子育てサバイバル日記

アメリカ的Diversity

"I am here to learn how to die"と言ってハーバードで哲学を教えている教授が現れた。見た目は髪も髭ももしゃもしゃでいかにも哲学者。話し方はヒップホップ(実際、彼のトークを収録したCDも発売してるらしい)。もはや彼自身がアート。こういう教授の話を聞けるのも、ハーバードの醍醐味かもしれない。

 

彼は黒人で、差別問題に取り組んでいる哲学者であり作家でありアクティビスト。冒頭の宣誓(?)も、一度(spiritualに)死に至らなければ、今までの価値観やバイアスから抜けることができない、という意味らしい。孔雀があざやかな羽を見せつけて"look at me”と胸をはっているけれども、確かにその羽は美しいけれども、鳥なのに飛べないことに気付いていない(飛べる孔雀もいるみたいですが、例えとして)。何が真実か理解するには、愛とは何か理解するには、「死」に値するほどの価値観の崩壊が必要なのだと。。。

 

彼がいうには、wounded victimではなくwounded healerになりたい、これはjoyであってhopeではない。hopeは問題の先送り。hopeは望めばいいだけ。一方、joyはpainなく生まれない。joyとは、自分が最もcareしていることをcareするということ。

 

アメリカでの歴史教育では、イギリスを代表とする「帝国主義」は学ぶものの、アメリカを「帝国」として教えることはないそうだ。アメリカは、先住民を追いやって領土を拡大した後、更に大陸を超えて占領地を獲得し、また、アフリカから奴隷を確保した。まさに「帝国主義」なのに、あくまで「民主主義」の国としてアメリカをとらえようとしていると。確かに何でもDemocracyというが、ただのバズワードなのかもしれない。

 

彼の話は、最初聞いたときはぽかん。。。としてしまったが、噛み砕いて考えてみると味のある言葉だ。アメリカに来てから、想像以上に人種差別問題が目に見えて存在していることに驚いた。

 

そして、アジア人として思ったのは、アメリカでDiversityというと、女性か黒人の話で、たまにヒスパニックも出てくるが、アジア系の話が出てくることがほとんどない。でも、所々でアジア系への偏見を実感する。子どもへの視線は優しくても、アジア人への視線は冷たい。

 

先日バスに乗ったとき、白人女性に「ここに座らないで、あっちいって」と言われた。理由がよくわからなくて戸惑ったが、友人が「アジア人だからだよ」。その友人はムスリムで黒人で女性なので、いくつもminorityを持ってるからわかる、と言っていた。

 

ある実験で、①ポジティブな単語を白人に、ネガティブな単語を黒人に振り分ける作業と、②ポジティブな単語を黒人に、ネガティブな単語を白人に振り分ける作業にかかる時間を比較したところ、②の方が①よりも時間がかかったそうだ。この結果は、実験対象者が白人でも黒人でも変わらなかったそうだ。

 

つまり、黒人自身も黒人に対するバイアスがあるということだ。自分で自分にceilingを設けてしまう。

 

なお、「成功」との関係を調査したところ、相関性があったのは身長だったそうだ。一般的に男性の方が背が高いので、性差別が反映されたのかもしれない。