ワーママのアメリカと日本の子育て

弁護士の子育てサバイバル日記

ラップのエトセトラ

何となく日本では歌唱力がいまいちなジャニーズがラップを担当しているイメージがあって(笑)、あんまりラップを聞くことはなかったが、アメリカではスピーチの代わりにラップを披露することが結構あり、何なら卒論をラップで提出した人がいるくらい浸透している。

 

先日、ランチトークでラッパー兼社会活動家の方のお話を聞いた。彼は生まれも育ちもアメリカなのだが、両親がナイジェリアから来た移民。ナイジェリアに行けばアメリカ人と言われて表現が許されず、アメリカでは(ナイジェリア人でもなく)黒人としてレッテルを貼られ、表現が制限されたという。

 

そんな彼が、大学を卒業するときに決めた職業がラッパー。もっと表現を深めていきたいと。。。両親には、何のために大学に行ったんだどぐちぐち言われたらしいが、彼は同時にNPOも設立。

 

自分が感じた社会からの疎外感を解決したいというのがきっかけだということだったが、一番初めに彼がとった行動がおもしろい。

 

ーまず、金持ちのところへ行けー

 

曰わく、「金持ちには金持ちになるだけの理由があるから」「自分にあてはまるような話はなくても、少なくとも金はある(=融資してもらえる!)」

 

あっぱれ。でも一理ある。

 

もう一つ印象的だったのは、彼がNPOを始めてから、「法」のイメージが変わったということ。幼少期から、「法=警察」であって、とにかく不合理でこわいものだと思っていたという。黒人に対する法のエンフォースメント=警察による差別が、こういう考え方を植え付けてしまうのかと思った。日本の警察の平和な感じ(道案内と忘れ物の管理なイメージ。。。)とは、全く違う。

 

NPOを始めてからは、たった一つのことにたくさんの法律が関わり、全てを理解するのは難しすぎて、だから弁護士がいるのかと納得した、と笑っていた。これはスタートアップ企業の人からもよく聞く話で、一つのアイディアがあって、ただそれを試してみたいだけなのに、現状の法制度はその新しいアイディアを想定していないため、アイディアを切り刻んで、関係しそうな法律を列挙して分析していく。しかも結論は「リスクあり」。だって、リスク全ては否定できないもんなぁ。

 

結局経営者がどこまでリスクをとれるか、ということになるが、彼のようなアーティストの場合、法律がどうであろうと「表現せずにはいられない」。アーティストとしての責任はもちろんあるけれど、抑えきれないのだと。

 

先週、音楽の街として有名なナッシュビルに行き、music entrepreneursやレコード会社、音大の教授などと話す機会があった。音楽に依存して産業を築くのは結構リスキーなのだが(金銭評価難しい上に、投資の回収も難しい)、会ったうちの一人が、「人間が不完全である限り、音楽はなくならない。musicianも存在し続ける。こんなに音楽のことを真剣に考えている人がいるということを忘れないでほしい」と言っていた。彼も、表現せずにはいられないアーティストの一人なのだろう。

 

なお、サランラップの方のラップは、壮絶に使いにくい。ユーザー目線に欠けることこの上なし。カッター部分は銀色に光って鋭利で危ないし(専業主婦時代の経験からすると、日本は紙製のカッターが普及しつつあるという理解)、その割には全く切れない。日本のラップみたいに一回じゃ切れないし、無理やり切ろうとすると中からどんどんラップが出てきて、最終的にはロールが丸々本体から飛び出す。はちゃめちゃになって、ラップ同士がくっつき、結局使えない。諦める。やり直す。はぁ。。。仕方ないので、日本の懐メロ聞きながら、明日の息子のお弁当用に余分に作った鶏ナゲットをぐちゃぐちゃのままのラップで何とか包んだ。