ワーママのアメリカと日本の子育て

弁護士の子育てサバイバル日記

ニューヨーカーのVIPな暮らし

人のご縁というのはあるもので、偶然のような必然のような、いずれにしても計算するとものすごい確率でたまたま出逢った人と、すごく気があったりする。そしてあまり連絡をとってなかったとしても、気軽に家に誘ってもらえ、週末を一緒に過ごすとあっという間に離れていた時間も溶けてぐっと距離近づく。

 

たまたま2週連続でNew Yorkerの友人宅にお邪魔した。New Yorkerといっても、マンハッタンに住んでいるわけではない。マンハッタンから1時間ほどの、どこまでも静かで、夏らしく鬱蒼と茂る木々の緑と、吸い込まれそうなくらい高い空の青が広がる、自然に囲まれたビッグハウスにお住まいだ。

 

2人ともまぁそれはそれはVIPな暮らしぶりだった。少しでもそのVIPな雰囲気を体験させてもらえて、ミドルクラスの中のミドルクラスな我が家は、感謝感激だった。いやぁすごいすごい!

 

一軒目は、山の中の湖畔にある豪邸で、もともとリゾートだったというのも頷ける、ゴルフ、テニス、プールなどなど、何でも揃ったvillageの中にあった。どうやら、イランのシャーが、治療のためにアメリカに来たときに滞在していた場所でもあるらしい。

 

我が家を招待してくれた方は、メールのやり取りはしていたものの、直接お会いしたのは一度だけで、ご招待も社交辞令かもしれないとも思いつつ、NY Barが終わって次の目標を探したい気持ちもあり、少しお話をお伺いしたく連絡してみたところ、大歓迎していただいた。

 

我が家が到着したらちらし寿司が待っており、お手製のしそジュースまで振る舞っていただいた上、数々の日本の美術品がセンス良く飾られており、トイレももちろんウォッシュレット付きで笑、アメリカにいるとは信じられないくらいだった。

 

金箔をあしらった絵画は、彼女曰わく「勢いが足りない」と、自分で2種類の金箔を購入して枠外にはみ出るほど付け足したそうで、確かにマット部分にまで金箔が力強く飛び出した日本海の波のような絵になっていた。何となくだが、日本からアメリカに飛び出し、アメリカ国籍を取ることになった彼女の人生のようだった。日本人ではなくアメリカ人になることを決めた理由も彼女らしく、「陪審員をやってみたかったから」だそうだ。

 

次にお邪魔した二軒目は、事前に「車で行くね」と伝えたところ、「いや、それは無理だよ。」と言われた家だ。曰わく、「フェリーで来て。」とのこと。

 

どういうことかと思ったら、ロングアイランドから少し離れた小さな島にあるビーチハウスで、夏の間だけそこに住んでいるそうだ。なお、冬は寒すぎで、もはや島全体で水道も止まるので、夏だけ滞在することが想定されている。ということは、島の人たち全員が他の場所に冬を過ごす家を持っているということで、まさに金持ちの集まりという感じだった。

 

ご招待してくださったのは夫の友人で、友人とはいえ一緒に少しバスケをした程度だったらしく、夫も少し緊張していた。こうやってちょっとした関係でも気軽に招待してくれるのは、いかにもアメリカっぽい。あと、一軒目もそうだったが、必ずプールがある。大きな家、広い庭、プール、テニスコート、、、映画で見たようなアメリカの世界を、ようやく目の当たりにした。ハーバードのあの狭い狭い寮はいったい何だったんだ笑

 

彼もとても面白い人で、ハーバードでスポーツ経済学を教えているのと相当の日本好きがあいまって、大きなテレビでサッカーやバスケを見ながらデータ分析の話をお伺いしたり、今まで知らなかった日本経済のユニークさを発見できて、とても楽しかった。

 

どちらのお家もボストンから車で行くと4時間以上かかり、息子は車酔いで吐き(おそらく車内で食べた腐りかけのブドウも原因)、駐車場がどこも満車でなかなか見つからず結局2時間もうろちょろしたり(最終的に近くにある大学のキャンパス内にとめた。大学が一般向けに駐車場ビジネスやっているなんてびっくり)、フェリー代などカードで払おうとしたら結構高いのに現金のみでお金がギリギリでヒヤヒヤしたり(NY Bar受けたときの教訓を生かして現金持っていて良かった)、着いたら夫が体調悪化して滞在先で寝込んだり(長距離運転ありがとう)、小さいトラブルはいっぱいあったが、最高のバケーションを体験させていただいた。

 

日本だと、東京から1時間じゃこんな自然はなかなかないだろうなと思いつつ(でも軽井沢なら新幹線で1時間くらいだろうか。でも軽井沢に住んで東京に毎日出勤するって発想はないだろうな)、ボストンは東京に比べるとちょっと田舎で何か物足りないと思っていた自分もいて(やっぱり都会好き)、はて帰国したらどこに住もうかと、東京版ニューヨーカーのVIP生活を夢見ている。