ワーママのアメリカと日本の子育て

弁護士の子育てサバイバル日記

Design School

今学期は、デザインスクールの授業にお邪魔させていただいた。デザインスクールは日本でいうと建築学科のようなものだが、より広い意味で「デザイン」を勉強できる。かっこいい。笑

 

私が聴講したのはインフラの授業。初回、「インフラ」の定義について2時間延々と語られた時はロースクールと変わらない(正直はずれの授業だったかと笑)と思ったが、議論の進め方(法制度を超えたデザインで社会問題を解決していくので、法律は後回し)、パワポの作り方(ほとんど文字がない)、学生の反応(つまらないと内職しているのだが、これがケースブックではなく設計図なのがかっこいい)など、ロースクールとは全く異なり、とても勉強になった。

 

ロンドンとパリの比較した回では(それがボストン・ケンブリッジエリアの都市計画などにも繋がっているようだ)、どのようにヒトが都市をコントロールしていくか、という過程が面白かった。

 

例えば、「公園」を一般人への教育・啓蒙の場と捉え、かなり意図的に設計している。一見自然いっぱいなグリーンな街作りだが、パリでは絶対自然には育たない花をビニールハウスで咲かせて植えるなど(雇用創出にもなる)、実は相当人工的だったりする。ここボストンも寒くて植物が冬を越えられないので、春になるとどこからか花が運ばれ、きれいに並んでいる。既に咲いているものが植えられるので、あっという間に冬から春に切り替わる(とはいえ、5月の今でもウルトラライトダウン欠かさず着ています)。あとついでに、大量の肥料がまかれるので、ものすごい臭いに包まれる(特に雨の日は牧場のよう)。

 

人権とインフラ、という人文系の私にもとっつきやすいテーマの回もあり、例えば難民キャンプをどうデザインしたらいいか、ということを学んだ。最近の傾向として、難民キャンプの規模が拡大しており、基本的なインフラに加え、学校、病院などの社会的なインフラも備えているそうだ。唯一欠けているのは職場。難民は働くことが許されていないのだ。また、地元との交流や融合をなるべく避けたいという政府の意図もあり、難民キャンプと普通の都市をつなぐインフラを、救援物資の運搬に限り、難民には閉ざしていることも多いそうだ。つまり、ここに定住することは想定されていない。

 

印象的だったのは、"everyone is equal on how to die"というコメント。祖国に帰りたくても帰れない人たちが、どうやって難民キャンプでも尊厳を持って死を迎えることができるか。仮の住まいとしての難民キャンプの在り方も、そう考えるとまた違う側面が見えてくる。

 

歴史的には、赤十字など宗教に基づいたグループが国を越えて難民支援を行ってきており、教会の中にどうやって病院の機能を取り込めるかとか、移動時に攻撃を受けないようにシンボルを作ったり交通網を教会同士でつないでいったことなど、これもまた面白かった。なお、現代では、救援物資を保管する倉庫の周りには鉄線が張り巡らされており、見た目は刑務所のようらしい。人権保護を目的とした建物のデザインとしてどうなんだろうか、と言っていた。

 

そして面白かったのは、テクノロジーと交通の回。アメリカではおなじみ、日本のタクシーのような存在であるUberやLyftは、public transportationというとライセンスや許可が必要になってきてしまうので、あくまでprivate transportation(マイカー通勤と一緒)として発展してきた。

 

しかしながら、Uberがsharing economyと言われるのとは裏腹に、Uberのお陰で交通渋滞がなくなったわけではない。むしろ、以前はバスや電車を使っていた人たちがUberを利用するようになり、ある地域では逆に交通渋滞が増えているそうだ。自動車というのは、そもそも電車やバスに比べて対空間比でいうとかなり非効率的。同じスペースに乗れる人数が極端に少ない。

 

少しでも効率を上げるべく、最近UberやLyftにはpoolという機能があって、他のユーザーと相乗りするので値段は安くなるが遠回りする、という選択肢がある。ただこのサービスのアルゴリズムがイケてないらしく、他のユーザーとの組み合わせや迂回経路など、まだまだ改善の余地があるそうだ。

 

日本でも話題の自動運転についても、なかなか予測機能が人間ほどではなく、特にとっさの判断ができないなどと批判されるが、現在の技術をもってすれば、Jaywalkingの街ボストンでも走行可能な自動運転のソフトはできるらしい。ヒントは、自動信号機が導入される前のロンドンの道路。歩行者、馬に乗っている人、馬車、開発されたばかりの自動車。ありとあらゆる人がごった返していたが、信号機がなくてもそれぞれがぶつからないように上手く動いていた。どんな最先端のテクノロジーでも、歴史から学ぶ。

 

電子化といえば、シンガポールやエストニアが有名だ。シンガポールでは、自動車の交通量を減らすため、購入にあたってものすごい高い税金を課すだけでなく(これによりかえって特権階級のprestigeとして確立し、一般庶民の夢となり、みんな喜んで税金を払うそうだ。すごい心理作戦)、中心街の混み具合にあわせて道路の料金が変わるシステムを導入したり、自動運転タクシーじゃ小さすぎると自動運転バスを試行運転したりしている。

 

これが可能なのは、国民が個人情報その他にうるさくなく、国中に防犯カメラが備え付けられてこれを国が管理しているからなのだが、政府がガンガン押し進めているだけあって、規模感がすごい。

 

ローテクながら私が好きなエピソードは、電車とバスの駅が遠いと乗り継ぎが不便なので、マイカーではじめから移動してしまったり、途中からタクシーに乗ったりしてしまうので、これを通路でつないだそうだ。これが、ただの通路ではない。蒸し暑く雨の多く降るシンガポールでは、屋根をつけることが最大のポイント。シンガポール人の友人に聞いたところ、とにかくみんな屋根を探して移動するそうだ笑。また、屋根をつければ例えば商店街も兼ねられたりする。そうやって人々の動きをコントロールし、また収益も確保していく。

 

デジタル化の問題は、スマホを持っていないとメリットを享受できないことで、そして支払いについては、クレジットカードを持っていることが前提になる。スマホはどんどん安くなっており、クレジットカードは難しくてもデビットカードの利用を認めれば何とかこの点は克服できるのでは、と言っていた。

 

また、お年寄りについて、エストニアが電子政府を進められたのは若者の人数が多く、これに反対するお年寄りが少なかったのと、文化的に新しいものが好きだったり、歴史的にソ連から独立したときにエストニアの看板としてテクノロジーがたまたまあった、ということなどが重なったらしい。シンガポールだと、アジア圏なのでお年寄りを敬う文化があり、お年寄りを除外しない。例えば銀行のATMも、機能を絞るかわりに大きな文字、単純操作で利用可能なお年寄り用ATMというのがあるそうだ。

 

こんな幅広い勉強ができるデザインスクールだが、建物は何だか薄暗くって、ビジネススクールみたいな華やかさやケネディスクールみたいなオープンスペースもない。それでもそこら中に3Dプリンターがあり、地下にいってみると大掛かりな装置もあったりして、かなり本格的だ。こういう環境があるのも、ハーバード生の特権だなぁ、としみじみと感じていた。